姫路市/市周辺在住・立命館OBの会


by himerits

西園寺公望がつくった大学

西園寺公望がつくった大学は・・立命館大学?」
「いいえ、京都大学です。」

「はぁ?京都大学は私立大学ではない。国立大学をつくったのは国家であって、個人ではない。」

確かに京都大学の前身、京都帝国大学は、国立大学なので、国家がつくりました。
しかし、東京帝国大学に次ぐ第2の帝国大学を京都に「誘致」したのは、西園寺公望でした。

wikipediaより
帝国大学令制定後、近畿にも帝国大学の設置をという声があがっていたが、財政難のため見送られ続けていた。1895年に西園寺公望は日清戦争で得た賠償金をもとに第三高等学校を帝国大学へ昇格させる提案を行う。最終的に第三高等学校を東一条通の南側(現在の吉田南キャンパス)に移転し、高等学校の土地・建物を大学が利用するという案が採用され、翌年予算処置が可決される。1897年6月18日に京都帝国大学設置に関する勅令が制定され、京都帝国大学が発足する。

では、立命館大学をつくったのは誰か?というと、西園寺公望の秘書官をしていた中川小十郎
その中川小十郎も、京都大学との繋がりが大きかったようです。

中川小十郎と立命館の成立(京都市上京区の歴史)より
こうして開設された京都帝大は,分科大学として理工科,法科,医科,文科の4科を持ち,初代総長には文部省専門学務局長の木下広次が就任。事務局長にあたる「書記官」には西園寺の秘書官・中川小十郎が就任した。

京都帝国大学の初代事務局長が、中川小十郎なのでした。

西園寺や中川は、官吏養成の場であった東京帝大に対し、政治にとらわれない自由な学問の場を京都につくろうと考え、それを京都帝国大学で実現することに腐心したようです。

では、なぜ中川は立命館の前身となる、京都法政学校をつくったのか。
より多くの青年に政治,法律,経済に関する高等教育を施すためには,私学も必要であると痛感した中川は,自ら行動を起こし,明治33年(1900),「私立京都法政学校」を開設した。東三本木の料亭「清輝楼」を仮校舎に開校したこの学校には,305名もの入学希望者が集まり,教授には,京都帝大の法科の教授陣が1時間2円の報酬で協力したという。


立命館の歴史を見ると、京都大学との繋がりが大きく、他の私学のように、アンチ官学とも言い切れない学校であると言えます。
最近になって、立命館守山高校(旧 市立守山女子高校)の開校、市立岐阜商業高校の付属校化検討と、公立学校との統合を進めています。

創立以来、官学との境界が曖昧だった立命館大学にしてみれば、相手が公立かどうかはあまり関係ないのかもしれません。
最近は国立大学が独立行政法人化して、私立大学との境界が曖昧になってきていますが、高校だけでなく公立や国立大学との合併などでも最も抵抗がない学校の一つでしょう。

しかし、一番抵抗がないのは、「立命館大学と京都大学の合併」であることは、言うまでもありません。

立命館の小中高一貫教育の上に、京大・大学院を被せて、全体を立命館がマネジメントすれば、世界トップレベルの教育機関となることも夢ではない・・かも。国策として検討してほしいですね。

参考
岐阜市が立命館に市立高移譲を検討(姫路立命会)
田舎の学問より京の昼寝(姫路立命会) - 京都大学 立命館大学 合同セミナー 2006の話題。
立命館草創の地(洛北日和)
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by himerits | 2006-12-12 02:01 | 立命館